KUPITTAAN SAVI(クピターン・サヴィ)は、1921年に設立された陶器メーカー。
1949年にアートディレクターに就いたMarjukka Paasivirta(マルユッカ・パーシヴィルタ)は、デザイナーのLinnea Lehtonen(リネア・レートネン)やOkki Laine(オッキ・ライネ)らと共にトレンドになりつつあったMarita Lybeck(マリタ・リューベック)やKaj Franck(カイ・フランク)によるシンプルで組み合わせが自由にできる機能的なモダンデーブルウェアのデザインを推し進めました。
1954年のミラノトリエンナーレでは、上記の3人のデザイナーがシルバーメダルを獲得するなど、その功績は国際的にも認められることとなりました。
こちらは、黄色いセミマットな釉薬の小さな器。
※目立つダメージなく良い状態です。
KUPITTAAN SAVI(クピターン・サヴィ)は、1921年に設立された陶器メーカー。
1949年にアートディレクターに就いたMarjukka Paasivirta(マルユッカ・パーシヴィルタ)は、デザイナーのLinnea Lehtonen(リネア・レートネン)やOkki Laine(オッキ・ライネ)らと共にトレンドになりつつあったMarita Lybeck(マリタ・リューベック)やKaj Franck(カイ・フランク)によるシンプルで組み合わせが自由にできる機能的なモダンデーブルウェアのデザインを推し進めました。
1954年のミラノトリエンナーレでは、上記の3人のデザイナーがシルバーメダルを獲得するなど、その功績は国際的にも認められることとなりました。
こちらは、黄色いセミマットな釉薬の器。
※目立つダメージなく良い状態です。
KUPITTAAN SAVI(クピターン・サヴィ)は、1921年に設立された陶器メーカー。
1949年にアートディレクターに就いたMarjukka Paasivirta(マルユッカ・パーシヴィルタ)は、デザイナーのLinnea Lehtonen(リネア・レートネン)やOkki Laine(オッキ・ライネ)らと共にトレンドになりつつあったMarita Lybeck(マリタ・リューベック)やKaj Franck(カイ・フランク)によるシンプルで組み合わせが自由にできる機能的なモダンデーブルウェアのデザインを推し進めました。
1954年のミラノトリエンナーレでは、上記の3人のデザイナーがシルバーメダルを獲得するなど、その功績は国際的にも認められることとなりました。
こちらは、黄色いセミマットな釉薬の大きめのマグカップ。
※目立つダメージなく良い状態です。
KUPITTAAN SAVI(クピターン・サヴィ)は、1921年に設立された陶器メーカー。
1949年にアートディレクターに就いたMarjukka Paasivirta(マルユッカ・パーシヴィルタ)は、デザイナーのLinnea Lehtonen(リネア・レートネン)やOkki Laine(オッキ・ライネ)らと共にトレンドになりつつあったMarita Lybeck(マリタ・リューベック)やKaj Franck(カイ・フランク)によるシンプルで組み合わせが自由にできる機能的なモダンデーブルウェアのデザインを推し進めました。
1954年のミラノトリエンナーレでは、上記の3人のデザイナーがシルバーメダルを獲得するなど、その功績は国際的にも認められることとなりました。
こちらは、黒いセミマットな釉薬の小さな器。
※目立つダメージなく良い状態です。
KUPITTAAN SAVI(クピターン・サヴィ)は、1921年に設立された陶器メーカー。
1949年にアートディレクターに就いたMarjukka Paasivirta(マルユッカ・パーシヴィルタ)は、デザイナーのLinnea Lehtonen(リネア・レートネン)やOkki Laine(オッキ・ライネ)らと共にトレンドになりつつあったMarita Lybeck(マリタ・リューベック)やKaj Franck(カイ・フランク)によるシンプルで組み合わせが自由にできる機能的なモダンデーブルウェアのデザインを推し進めました。
1954年のミラノトリエンナーレでは、上記の3人のデザイナーがシルバーメダルを獲得するなど、その功績は国際的にも認められることとなりました。
こちらは、黒いセミマットな釉薬の取っ手付きの器。
※目立つダメージなく良い状態です。
KUPITTAAN SAVI(クピターン・サヴィ)は、1921年に設立された陶器メーカー。
1949年にアートディレクターに就いたMarjukka Paasivirta(マルユッカ・パーシヴィルタ)は、デザイナーのLinnea Lehtonen(リネア・レートネン)やOkki Laine(オッキ・ライネ)らと共にトレンドになりつつあったMarita Lybeck(マリタ・リューベック)やKaj Franck(カイ・フランク)によるシンプルで組み合わせが自由にできる機能的なモダンデーブルウェアのデザインを推し進めました。
1954年のミラノトリエンナーレでは、上記の3人のデザイナーがシルバーメダルを獲得するなど、その功績は国際的にも認められることとなりました。
こちらは、Linnea Lehtonenによって1954年にデザインされた片手鍋。
持ち手部分をフラットにするため、籐が巻かれた部分には、籐の厚み分ほど凹みが設けられ、
また巻き始める部分には穴が空けられているなど、使いやすさや外れることの多い籐の固定化など非常に考えられたデザイン。
黒いセミマットな釉薬、2サイズのバリエーションのがありこちらは大きいサイズのもの。
1954年のミラノトリエンナーレでシルバーメダルを獲得した作品のひとつ。
※持ち手の縁に小さな釉薬の剥げ、内側に使用感があります。目立つダメージなく良い状態です。
KUPITTAAN SAVI(クピターン・サヴィ)は、1921年に設立された陶器メーカー。
1949年にアートディレクターに就いたMarjukka Paasivirta(マルユッカ・パーシヴィルタ)は、デザイナーのLinnea Lehtonen(リネア・レートネン)やOkki Laine(オッキ・ライネ)らと共にトレンドになりつつあったMarita Lybeck(マリタ・リューベック)やKaj Franck(カイ・フランク)によるシンプルで組み合わせが自由にできる機能的なモダンデーブルウェアのデザインを推し進めました。
1954年のミラノトリエンナーレでは、上記の3人のデザイナーがシルバーメダルを獲得するなど、その功績は国際的にも認められることとなりました。
こちらは、Linnea Lehtonenによってデザインされた水指し。
持ち手部分をフラットにするため、籐が巻かれた部分には、籐の厚み分ほど凹みが設けられ、
また巻き始める部分には穴が空けられているなど、使いやすさや外れることの多い籐の固定化など非常に考えられたデザイン。
黒いセミマットな釉薬、2サイズのバリエーションのがありこちらは大きいサイズのもの。
※目立つダメージなく良い状態です。
Marjukka Paasivirta(マルユッカ・パーシヴィルタ)は、フィンランドの女性デザイナー・陶芸家。
芸術デザイン学校で陶芸を専攻、卒業後の1949年からKupittaan Saviでデザイナーとしてのキャリアをスタート。
1950年から1960年までアートディレクターを務め、時代遅れのモデルを段階的に廃止し、
トレンドになりつつあったMarita Lybeck(マリタ・リューベック)やKaj Franck(カイ・フランク)によるシンプルで組み合わせが自由にできる機能的なモダンテーブルウェアのデザインを推し進めました。
1954年のミラノトリエンナーレでは、彼女を含めKupittaan Saviに所属する3人のデザイナーがシルバーメダルを獲得するなど、その功績は国際的にも認められることとなりました。
こちらは、1957年のミラノトリエンナーレに出展した黒いセミマットな釉薬を用いたティーポット。容量は、おおよそ600ml。希少なもの。
※目立つダメージなく良い状態です。取っ手の留め具は、真鍮製のリングに交換しました。
Marjukka Paasivirta(マルユッカ・パーシヴィルタ)は、フィンランドの女性デザイナー・陶芸家。
芸術デザイン学校で陶芸を専攻、卒業後の1949年からKupittaan Saviでデザイナーとしてのキャリアをスタート。
1950年から1960年までアートディレクターを務め、時代遅れのモデルを段階的に廃止し、
トレンドになりつつあったMarita Lybeck(マリタ・リューベック)やKaj Franck(カイ・フランク)によるシンプルで組み合わせが自由にできる機能的なモダンテーブルウェアのデザインを推し進めました。
1954年のミラノトリエンナーレでは、彼女を含めKupittaan Saviに所属する3人のデザイナーがシルバーメダルを獲得するなど、その功績は国際的にも認められることとなりました。
こちらは、1957年のミラノトリエンナーレに出展した黒いセミマットな釉薬を用いたティーポット。容量は、おおよそ1500ml。希少なもの。
※製造時よりポットの底面裏に釉薬がかかっていない部分があります。目立つダメージなく良い状態です。取っ手の留め具は、真鍮製のリングに交換しました。
Kaj FranckがデザインしたBTモデルを小さくしたデザイン。
デザイナーは不明ですが、これはグラス用としてデザインされており、
Arabiaと同じWartsilaグループのガラスメーカーNuutajarviでデザインしていた
Kaj Franckによるものと推測されます。
画像8〜10枚目は、Kaj Franckのタンブラーをのせた参考画像。
POLO 5054(8枚目)、5027-020(9枚目左)、5023-018(9枚目右)、2744-020(10枚目左)、2744-009(10枚目右)。
短期間のみ製造された希少なもの。
※表面にスレがありますが、目立つダメージなく良い状態です。
ヘルシンキ国立美術大学で家具デザインなど7つの異なったコースを学ぶ。卒業後、家具デザインを主軸としインテリアデザイナーとして活躍。1939年、奨 学金を得てスウェーデン、デンマーク、1953年にはドイツ、イタリア、フランス、イギリスに赴き、この間の様々な研究により造形への視野がさらに広めら れた。北欧諸国への遊学から帰国後、ガラスや照明器具、テキスタイルなどデザインを次々と発表。1945年にARABIA(アラビア)の主任デザイナー、1950年からはアートディレクターに就任し1973年まで活躍。並行してIITTALA(イッタラ)(1946?50年)やARABIAの 傘下であったNUUTAJARVI(ヌータヤルヴィ)(1950?76年)でも数々の作品を残しました。「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの責任」を信条とし「フィン ランドの良心」と呼ばれる彼のデザインは機能的でシンプルなフォルム、装飾はなく色彩のみで表現されたものが多く、数々のヒット作を生み出しました。代表 作でもあるKILTA(TEEMA)シリーズ、KARTIOシリーズなどは現在でも生産が続けられています。また、手工芸的なアプローチで芸術的なスタジ オ作品も数多く残しました。ルニング賞(1955年)、ミラノトリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。
1873年、フィンランドの首都ヘルシンキの別荘地アラビア地区にRORSTRAND(ロールストランド)の子会社として創業。1916年にRORSTRANDより独立。1932年、KURT EKHOLM(クルト・エクホルム)をアートディレクターに迎え、機能主義を取り入れたSINIVALKOシリーズを1935年に発表。これにヒントを得てデザインされたのが、1953年に発表され大ヒットとなったKAJ FRANCK(カイ・フランク)のKILTAシリーズ。1932年、芸術部門であるARABIA ART DEPARTMENTが設立され、TOINI MUONA(トイニ・ムオナ)、BIRGER KAIPIAINEN(ビルイエル・カイピアイネン)、RUT BRYK(ルート・ブルック)、OIVA TOIKKA(オイヴァ・トイッカ)らが参加。1942年、FRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツェル・ツェルベリ)のデザインした蛍手の技法を用いたRICE PORCELAIN(ライス・ポーセリン)シリーズを発表。1945年には、KAJ FRANCKがデザイナーとして入社、デザイン部門のリーダーとなり、KAARINA AHO(カーリナ・アホ)、ULLA PROCOPE(ウッラ・プロコペ)、ESTERI TOMULA(エステリ・トムラ)、RAIJA UOSIKKINEN(ライヤ・ウオシッキネン)らと共に数多くのヒット作を発表。1950年代から60年代にかけて黄金期をむかえるが、1970年代に入ると経営難に陥り以降、合 併や買収を繰り返し、現在は、IITTALAグループのブランドとして主にフィンランド国内向けに生産を続けています。
KILTAシリーズは、1953年に発表され1974年まで製造。
「ディナーセットを紛糾せよ」というスローガンのもと一切の無駄を省き、
一つで多目的に使用でき他の食器とも調和しやすいという機能的でミニマムなデザイン。
デコラティブで一つひとつ用途の決まったディナーセットが主流であった時代に発表され
「キッチン革命」をおこしたKAJ FRANCK(カイ・フランク)の代表作です。
こちらは、BAモデルの蓋つきのキャセロールで、1960年ごろにシリーズに追加されたもの。
1967年のカタログには掲載がなく、個体数も少ないことから短期間のみ製造されたものと推測されます。
希少なもの。
※目立つダメージなく良い状態です。
ヘルシンキ国立美術大学で家具デザインなど7つの異なったコースを学ぶ。卒業後、家具デザインを主軸としインテリアデザイナーとして活躍。1939年、奨 学金を得てスウェーデン、デンマーク、1953年にはドイツ、イタリア、フランス、イギリスに赴き、この間の様々な研究により造形への視野がさらに広めら れた。北欧諸国への遊学から帰国後、ガラスや照明器具、テキスタイルなどデザインを次々と発表。1945年にARABIA(アラビア)の主任デザイナー、1950年からはアートディレクターに就任し1973年まで活躍。並行してIITTALA(イッタラ)(1946?50年)やARABIAの 傘下であったNUUTAJARVI(ヌータヤルヴィ)(1950?76年)でも数々の作品を残しました。「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの責任」を信条とし「フィン ランドの良心」と呼ばれる彼のデザインは機能的でシンプルなフォルム、装飾はなく色彩のみで表現されたものが多く、数々のヒット作を生み出しました。代表 作でもあるKILTA(TEEMA)シリーズ、KARTIOシリーズなどは現在でも生産が続けられています。また、手工芸的なアプローチで芸術的なスタジ オ作品も数多く残しました。ルニング賞(1955年)、ミラノトリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。
1873年、フィンランドの首都ヘルシンキの別荘地アラビア地区にRORSTRAND(ロールストランド)の子会社として創業。1916年にRORSTRANDより独立。1932年、KURT EKHOLM(クルト・エクホルム)をアートディレクターに迎え、機能主義を取り入れたSINIVALKOシリーズを1935年に発表。これにヒントを得てデザインされたのが、1953年に発表され大ヒットとなったKAJ FRANCK(カイ・フランク)のKILTAシリーズ。1932年、芸術部門であるARABIA ART DEPARTMENTが設立され、TOINI MUONA(トイニ・ムオナ)、BIRGER KAIPIAINEN(ビルイエル・カイピアイネン)、RUT BRYK(ルート・ブルック)、OIVA TOIKKA(オイヴァ・トイッカ)らが参加。1942年、FRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツェル・ツェルベリ)のデザインした蛍手の技法を用いたRICE PORCELAIN(ライス・ポーセリン)シリーズを発表。1945年には、KAJ FRANCKがデザイナーとして入社、デザイン部門のリーダーとなり、KAARINA AHO(カーリナ・アホ)、ULLA PROCOPE(ウッラ・プロコペ)、ESTERI TOMULA(エステリ・トムラ)、RAIJA UOSIKKINEN(ライヤ・ウオシッキネン)らと共に数多くのヒット作を発表。1950年代から60年代にかけて黄金期をむかえるが、1970年代に入ると経営難に陥り以降、合 併や買収を繰り返し、現在は、IITTALAグループのブランドとして主にフィンランド国内向けに生産を続けています。
KILTAシリーズは、1953年に発表され1974年まで製造。
「ディナーセットを紛糾せよ」というスローガンのもと一切の無駄を省き、
一つで多目的に使用でき他の食器とも調和しやすいという機能的でミニマムなデザイン。
デコラティブで一つひとつ用途の決まったディナーセットが主流であった時代に発表され
「キッチン革命」をおこしたKAJ FRANCK(カイ・フランク)の代表作です。
こちらは、BAモデルの蓋付きシュガーボウルで、1953年のKILTAシリーズ発表時から1974年まで製造されました。
このシュガーボウルにとってを取り付けたのがカップ、カップに注ぎ口をつけたのがクリーマーと、
製造においても多目的に使用できるよう同じ金型が使用されています。
※目立つダメージなく良い状態です。
ヘルシンキ国立美術大学で家具デザインなど7つの異なったコースを学ぶ。卒業後、家具デザインを主軸としインテリアデザイナーとして活躍。1939年、奨 学金を得てスウェーデン、デンマーク、1953年にはドイツ、イタリア、フランス、イギリスに赴き、この間の様々な研究により造形への視野がさらに広めら れた。北欧諸国への遊学から帰国後、ガラスや照明器具、テキスタイルなどデザインを次々と発表。1945年にARABIA(アラビア)の主任デザイナー、1950年からはアートディレクターに就任し1973年まで活躍。並行してIITTALA(イッタラ)(1946?50年)やARABIAの 傘下であったNUUTAJARVI(ヌータヤルヴィ)(1950?76年)でも数々の作品を残しました。「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの責任」を信条とし「フィン ランドの良心」と呼ばれる彼のデザインは機能的でシンプルなフォルム、装飾はなく色彩のみで表現されたものが多く、数々のヒット作を生み出しました。代表 作でもあるKILTA(TEEMA)シリーズ、KARTIOシリーズなどは現在でも生産が続けられています。また、手工芸的なアプローチで芸術的なスタジ オ作品も数多く残しました。ルニング賞(1955年)、ミラノトリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。
1873年、フィンランドの首都ヘルシンキの別荘地アラビア地区にRORSTRAND(ロールストランド)の子会社として創業。1916年にRORSTRANDより独立。1932年、KURT EKHOLM(クルト・エクホルム)をアートディレクターに迎え、機能主義を取り入れたSINIVALKOシリーズを1935年に発表。これにヒントを得てデザインされたのが、1953年に発表され大ヒットとなったKAJ FRANCK(カイ・フランク)のKILTAシリーズ。1932年、芸術部門であるARABIA ART DEPARTMENTが設立され、TOINI MUONA(トイニ・ムオナ)、BIRGER KAIPIAINEN(ビルイエル・カイピアイネン)、RUT BRYK(ルート・ブルック)、OIVA TOIKKA(オイヴァ・トイッカ)らが参加。1942年、FRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツェル・ツェルベリ)のデザインした蛍手の技法を用いたRICE PORCELAIN(ライス・ポーセリン)シリーズを発表。1945年には、KAJ FRANCKがデザイナーとして入社、デザイン部門のリーダーとなり、KAARINA AHO(カーリナ・アホ)、ULLA PROCOPE(ウッラ・プロコペ)、ESTERI TOMULA(エステリ・トムラ)、RAIJA UOSIKKINEN(ライヤ・ウオシッキネン)らと共に数多くのヒット作を発表。1950年代から60年代にかけて黄金期をむかえるが、1970年代に入ると経営難に陥り以降、合 併や買収を繰り返し、現在は、IITTALAグループのブランドとして主にフィンランド国内向けに生産を続けています。
KILTAシリーズは、1953年に発表され1974年まで製造。
「ディナーセットを紛糾せよ」というスローガンのもと一切の無駄を省き、
一つで多目的に使用でき他の食器とも調和しやすいという機能的でミニマムなデザイン。
デコラティブで一つひとつ用途の決まったディナーセットが主流であった時代に発表され
「キッチン革命」をおこしたKAJ FRANCK(カイ・フランク)の代表作です。
こちらは、BAモデルの蓋付きシュガーボウルで、1953年のKILTAシリーズ発表時から1974年まで製造されました。
このシュガーボウルにとってを取り付けたのがカップ、カップに注ぎ口をつけたのがクリーマーと、
製造においても多目的に使用できるよう同じ金型が使用されています。
※製造時より内側に2箇所色飛びがあります。目立つダメージなく良い状態です。
ヘルシンキ国立美術大学で家具デザインなど7つの異なったコースを学ぶ。卒業後、家具デザインを主軸としインテリアデザイナーとして活躍。1939年、奨 学金を得てスウェーデン、デンマーク、1953年にはドイツ、イタリア、フランス、イギリスに赴き、この間の様々な研究により造形への視野がさらに広めら れた。北欧諸国への遊学から帰国後、ガラスや照明器具、テキスタイルなどデザインを次々と発表。1945年にARABIA(アラビア)の主任デザイナー、1950年からはアートディレクターに就任し1973年まで活躍。並行してIITTALA(イッタラ)(1946?50年)やARABIAの 傘下であったNUUTAJARVI(ヌータヤルヴィ)(1950?76年)でも数々の作品を残しました。「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの責任」を信条とし「フィン ランドの良心」と呼ばれる彼のデザインは機能的でシンプルなフォルム、装飾はなく色彩のみで表現されたものが多く、数々のヒット作を生み出しました。代表 作でもあるKILTA(TEEMA)シリーズ、KARTIOシリーズなどは現在でも生産が続けられています。また、手工芸的なアプローチで芸術的なスタジ オ作品も数多く残しました。ルニング賞(1955年)、ミラノトリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。
1873年、フィンランドの首都ヘルシンキの別荘地アラビア地区にRORSTRAND(ロールストランド)の子会社として創業。1916年にRORSTRANDより独立。1932年、KURT EKHOLM(クルト・エクホルム)をアートディレクターに迎え、機能主義を取り入れたSINIVALKOシリーズを1935年に発表。これにヒントを得てデザインされたのが、1953年に発表され大ヒットとなったKAJ FRANCK(カイ・フランク)のKILTAシリーズ。1932年、芸術部門であるARABIA ART DEPARTMENTが設立され、TOINI MUONA(トイニ・ムオナ)、BIRGER KAIPIAINEN(ビルイエル・カイピアイネン)、RUT BRYK(ルート・ブルック)、OIVA TOIKKA(オイヴァ・トイッカ)らが参加。1942年、FRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツェル・ツェルベリ)のデザインした蛍手の技法を用いたRICE PORCELAIN(ライス・ポーセリン)シリーズを発表。1945年には、KAJ FRANCKがデザイナーとして入社、デザイン部門のリーダーとなり、KAARINA AHO(カーリナ・アホ)、ULLA PROCOPE(ウッラ・プロコペ)、ESTERI TOMULA(エステリ・トムラ)、RAIJA UOSIKKINEN(ライヤ・ウオシッキネン)らと共に数多くのヒット作を発表。1950年代から60年代にかけて黄金期をむかえるが、1970年代に入ると経営難に陥り以降、合 併や買収を繰り返し、現在は、IITTALAグループのブランドとして主にフィンランド国内向けに生産を続けています。
KILTAシリーズは、1953年に発表され1974年まで製造。
「ディナーセットを紛糾せよ」というスローガンのもと一切の無駄を省き、
一つで多目的に使用でき他の食器とも調和しやすいという機能的でミニマムなデザイン。
デコラティブで一つひとつ用途の決まったディナーセットが主流であった時代に発表され
「キッチン革命」をおこしたKAJ FRANCK(カイ・フランク)の代表作です。
こちらは、BAモデルの蓋付きシュガーボウルで、1953年のKILTAシリーズ発表時から1974年まで製造されました。
このシュガーボウルにとってを取り付けたのがカップ、カップに注ぎ口をつけたのがクリーマーと、
製造においても多目的に使用できるよう同じ金型が使用されています。
※シュガーボウルの底面の縁に製造時より凹みがあります。目立つダメージなく良い状態です。
ヘルシンキ国立美術大学で家具デザインなど7つの異なったコースを学ぶ。卒業後、家具デザインを主軸としインテリアデザイナーとして活躍。1939年、奨 学金を得てスウェーデン、デンマーク、1953年にはドイツ、イタリア、フランス、イギリスに赴き、この間の様々な研究により造形への視野がさらに広めら れた。北欧諸国への遊学から帰国後、ガラスや照明器具、テキスタイルなどデザインを次々と発表。1945年にARABIA(アラビア)の主任デザイナー、1950年からはアートディレクターに就任し1973年まで活躍。並行してIITTALA(イッタラ)(1946?50年)やARABIAの 傘下であったNUUTAJARVI(ヌータヤルヴィ)(1950?76年)でも数々の作品を残しました。「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの責任」を信条とし「フィン ランドの良心」と呼ばれる彼のデザインは機能的でシンプルなフォルム、装飾はなく色彩のみで表現されたものが多く、数々のヒット作を生み出しました。代表 作でもあるKILTA(TEEMA)シリーズ、KARTIOシリーズなどは現在でも生産が続けられています。また、手工芸的なアプローチで芸術的なスタジ オ作品も数多く残しました。ルニング賞(1955年)、ミラノトリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。
1873年、フィンランドの首都ヘルシンキの別荘地アラビア地区にRORSTRAND(ロールストランド)の子会社として創業。1916年にRORSTRANDより独立。1932年、KURT EKHOLM(クルト・エクホルム)をアートディレクターに迎え、機能主義を取り入れたSINIVALKOシリーズを1935年に発表。これにヒントを得てデザインされたのが、1953年に発表され大ヒットとなったKAJ FRANCK(カイ・フランク)のKILTAシリーズ。1932年、芸術部門であるARABIA ART DEPARTMENTが設立され、TOINI MUONA(トイニ・ムオナ)、BIRGER KAIPIAINEN(ビルイエル・カイピアイネン)、RUT BRYK(ルート・ブルック)、OIVA TOIKKA(オイヴァ・トイッカ)らが参加。1942年、FRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツェル・ツェルベリ)のデザインした蛍手の技法を用いたRICE PORCELAIN(ライス・ポーセリン)シリーズを発表。1945年には、KAJ FRANCKがデザイナーとして入社、デザイン部門のリーダーとなり、KAARINA AHO(カーリナ・アホ)、ULLA PROCOPE(ウッラ・プロコペ)、ESTERI TOMULA(エステリ・トムラ)、RAIJA UOSIKKINEN(ライヤ・ウオシッキネン)らと共に数多くのヒット作を発表。1950年代から60年代にかけて黄金期をむかえるが、1970年代に入ると経営難に陥り以降、合 併や買収を繰り返し、現在は、IITTALAグループのブランドとして主にフィンランド国内向けに生産を続けています。
KILTAシリーズは、1953年に発表され1974年まで製造。
「ディナーセットを紛糾せよ」というスローガンのもと一切の無駄を省き、
一つで多目的に使用でき他の食器とも調和しやすいという機能的でミニマムなデザイン。
デコラティブで一つひとつ用途の決まったディナーセットが主流であった時代に発表され
「キッチン革命」をおこしたKAJ FRANCK(カイ・フランク)の代表作です。
こちらは、BAモデルの容量150mlのカップと13cmのプレートを組み合わせたC&S。
共に1960年代にシリーズに追加されました。
※カップに光の加減により水垢が見えます。ソーサーは、目立つダメージなく良い状態です。
ヘルシンキ国立美術大学で家具デザインなど7つの異なったコースを学ぶ。卒業後、家具デザインを主軸としインテリアデザイナーとして活躍。1939年、奨 学金を得てスウェーデン、デンマーク、1953年にはドイツ、イタリア、フランス、イギリスに赴き、この間の様々な研究により造形への視野がさらに広めら れた。北欧諸国への遊学から帰国後、ガラスや照明器具、テキスタイルなどデザインを次々と発表。1945年にARABIA(アラビア)の主任デザイナー、1950年からはアートディレクターに就任し1973年まで活躍。並行してIITTALA(イッタラ)(1946?50年)やARABIAの 傘下であったNUUTAJARVI(ヌータヤルヴィ)(1950?76年)でも数々の作品を残しました。「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの責任」を信条とし「フィン ランドの良心」と呼ばれる彼のデザインは機能的でシンプルなフォルム、装飾はなく色彩のみで表現されたものが多く、数々のヒット作を生み出しました。代表 作でもあるKILTA(TEEMA)シリーズ、KARTIOシリーズなどは現在でも生産が続けられています。また、手工芸的なアプローチで芸術的なスタジ オ作品も数多く残しました。ルニング賞(1955年)、ミラノトリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。
1873年、フィンランドの首都ヘルシンキの別荘地アラビア地区にRORSTRAND(ロールストランド)の子会社として創業。1916年にRORSTRANDより独立。1932年、KURT EKHOLM(クルト・エクホルム)をアートディレクターに迎え、機能主義を取り入れたSINIVALKOシリーズを1935年に発表。これにヒントを得てデザインされたのが、1953年に発表され大ヒットとなったKAJ FRANCK(カイ・フランク)のKILTAシリーズ。1932年、芸術部門であるARABIA ART DEPARTMENTが設立され、TOINI MUONA(トイニ・ムオナ)、BIRGER KAIPIAINEN(ビルイエル・カイピアイネン)、RUT BRYK(ルート・ブルック)、OIVA TOIKKA(オイヴァ・トイッカ)らが参加。1942年、FRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツェル・ツェルベリ)のデザインした蛍手の技法を用いたRICE PORCELAIN(ライス・ポーセリン)シリーズを発表。1945年には、KAJ FRANCKがデザイナーとして入社、デザイン部門のリーダーとなり、KAARINA AHO(カーリナ・アホ)、ULLA PROCOPE(ウッラ・プロコペ)、ESTERI TOMULA(エステリ・トムラ)、RAIJA UOSIKKINEN(ライヤ・ウオシッキネン)らと共に数多くのヒット作を発表。1950年代から60年代にかけて黄金期をむかえるが、1970年代に入ると経営難に陥り以降、合 併や買収を繰り返し、現在は、IITTALAグループのブランドとして主にフィンランド国内向けに生産を続けています。