Marita Lybeck(マリタ・リューベック)は、フィンランドの女性デザイナー・陶芸家。
兄はARTEK設立メンバーの一人で美術史家、批評家であったNils-Gustav Hahl(ニルス・グスタフ・ハール)。
モダンで機能的なテーブルウェアの分野においてのパイオニアで、1930年代半ばにAino Aalto(アイノ・アアルト)からの依頼でARTEKの陶器やテキスタイルをデザインしキャリアをスタートさせました。
1937年のパリ万国博に出展されたAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)の家具のファブリックや、SAVOYレストランのテーブルウェアの一部なども彼女のデザイン。
1947年に自身のスタジオEMMELを設立。
国内の赤土を用い、装飾はほとんどなくシンプルなフォルムで、スタッキング可能な機能性や自由に組み合わせができるなど、
モダンで革新的なデザイン理念のテーブルウェアを職人の手の痕跡が残るハンドメイドで発表しました。
1951年にはARTEKで『赤土のフォルムと機能』と題した個展を開催するなど好評を得ましたが、
後にKaj Franck(カイ・フランク)のKILTAシリーズやKupittaan Saviなどの同じデザイン理念の大量生産品との価格競争に敗れるなどして1957年に閉業。
1957年からは、EMMEL設立前にARTEKの作品を製造していた地元の陶器メーカーであるKERAのアートディレクターに就任し1958年まで在籍。
その後、ストックマンデパートのアート・デザイン部門のマネージャーなどとして活躍しました。
1954年のミラノトリエンナーレでシルバーメダルを獲得。
陶芸家を目指すきっかけとなったのが、自宅近くにあったKERAの工場で目の当たりにし、心を奪われた赤土を使った陶器でした。
こちらは、そんな彼女の陶芸家・デザイナーとしての原点でもあるKERAで、1957年にアートディレクターとして就任後すぐに発表した『KOTO』シリーズのリム皿。
赤土の素材感を生かし、リム部分にのみ黒い装飾が施されたシンプルなデザイン。全体に透明釉薬がかけられています。
ハンドメイドのため、赤土の色味や釉薬、サイズに個体差があります。
KERAは1959年に閉業しましたが、1958年の夏頃にはすでに工場は稼働しておらず、わずかな期間のみの製造となります。
たいへん希少なもの。
※小傷はありますが、目立つダメージなく良い状態です。