Kurt Ekholm(クルト・エクホルム)は、黎明期のArabia(アラビア)、延いてはフィンランドの美術産業における最も重要な人物のひとり。
ストックホルムのTekniska Skolan(現Konstfack)で陶磁器デザインを専攻、在学中にインターンシップで
Rorstrand(ロールストランド)のアートディレクターであったGunnar Nylund(グンナー・ニールンド)のもと研鑽を積みモダニズム志向を強めました。
1931年に卒業後帰国しArabiaへデザイナーとして入社、1932年よりアートディレクター、1933年からは美術部門の責任者として1948年まで在籍。
デザイナーとしては、1935年にAHモデル、1936年にARモデルをデザインするなどArabiaにおける機能主義的テーブルウェアのパイオニアで、
後のKaj Franck(カイ・フランク)によるKiltaシリーズ誕生のヒントとなりました。
陶芸家としても個展を開催するなど作品を発表していましたが、1937年ごろからアートディレクターとしての管理業務や、
彼自身の熱意と努力によって設立した美術部門の運営のため次第に裏方に回るようになりました。
北欧諸国で数々の展覧会を企画し、Arabiaの美術部門の作家の作品をはじめとしたフィンランドの美術工芸品やデザインを紹介するとともに、
北欧諸国との交流を図り連帯して世界進出への足掛かりとしました。
1948年に開館し、現在もArabiaの9階にある博物館もまた彼の功績によるものです。
こちらは、美術部門の設立前の1931年に制作したユニークピースの花器。
Arabiaへ入社後すぐに制作した最初期のもので、側面に施した溝の連続による凹凸にの陰影と、
ランダムに刷毛塗りされた複数の茶系釉薬のグラデーションの相乗効果により抽象風景画のような作品です。
KURT EKHOLMのアートピースは個体数が少なく、たいへん貴重なもの。
※目立つダメージなく良い状態です
ARABIA|アラビア|FINLAND
1873年、フィンランドの首都ヘルシンキの別荘地アラビア地区にRORSTRAND(ロールストランド)の子会社として創業。1916年にRORSTRANDより独立。1932年、KURT EKHOLM(クルト・エクホルム)をアートディレクターに迎え、機能主義を取り入れたSINIVALKOシリーズを1935年に発表。これにヒントを得てデザインされたのが、1953年に発表され大ヒットとなったKAJ FRANCK(カイ・フランク)のKILTAシリーズ。1932年、芸術部門であるARABIA ART DEPARTMENTが設立され、TOINI MUONA(トイニ・ムオナ)、BIRGER KAIPIAINEN(ビルイエル・カイピアイネン)、RUT BRYK(ルート・ブルック)、OIVA TOIKKA(オイヴァ・トイッカ)らが参加。1942年、FRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツェル・ツェルベリ)のデザインした蛍手の技法を用いたRICE PORCELAIN(ライス・ポーセリン)シリーズを発表。1945年には、KAJ FRANCKがデザイナーとして入社、デザイン部門のリーダーとなり、KAARINA AHO(カーリナ・アホ)、ULLA PROCOPE(ウッラ・プロコペ)、ESTERI TOMULA(エステリ・トムラ)、RAIJA UOSIKKINEN(ライヤ・ウオシッキネン)らと共に数多くのヒット作を発表。1950年代から60年代にかけて黄金期をむかえるが、1970年代に入ると経営難に陥り以降、合 併や買収を繰り返し、現在は、IITTALAグループのブランドとして主にフィンランド国内向けに生産を続けています。
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