Kaarina Aho(カーリナ・アホ)は、フィンランドの女性陶芸家、デザイナー。
祖父は国民的作家であるJuhani Aho(ユハニ・アホ)、祖母は芸術家のVenny Soldan-Brofeldt(ヴェニー・ソルダン・ブロフェルト)と文化的に著名な家系に1925年に生まれました。
中央美術工芸学校を卒業後、1946年からKaj Franck(カイ・フランク)の最初のアシスタントとして
アラビアのプロダクトデザイン部門に加わり、1949年〜1962年までデザイナーとして数多くのプロダクトをデザイン。
1957年のミラノトリエンナーレでは、BLモデルのモカカップがゴールドメダルを受賞しました。
アラビア在籍時当初は、大量生産品の装飾など職務に満足がいかず、辞職を申し出ましたが会社からは受け入れられませんでした。
代わりにアラビアのほぼ全ての部門に出入りできるようになり、様々な技能を習得していきました。
彼女はまた、プロダクトデザイン部門に所属しながら、轆轤で一点物の作品を制作し自身の展示会を開催。
1962年にアラビアを離れた後は、自身の工房を構え作品制作を続けました。
こちらは、おそらくArabiaのギャラリー/ショールームで開催された自身の展示会で発表した轆轤目が残る作品。
安定感のあるやや台形フォルムのカップ、外側に傾斜して立ち上がったソーサーのリムと洗練されたデザインのカップ&ソーサーです。
下側を小さく外側に丸く収めた特徴的な取っ手は、使用時に中指でカップを安定させる機能性も考えられてます。
フラットなソーサーは、プレートとしても使用可能。
カップ、ソーサー共に『AHO ARABIA RH』のサインあり。たいへん希少なもの。
※目立つダメージなく非常に良い状態です。
ARABIA|アラビア|FINLAND
1873年、フィンランドの首都ヘルシンキの別荘地アラビア地区にRORSTRAND(ロールストランド)の子会社として創業。1916年にRORSTRANDより独立。1932年、KURT EKHOLM(クルト・エクホルム)をアートディレクターに迎え、機能主義を取り入れたSINIVALKOシリーズを1935年に発表。これにヒントを得てデザインされたのが、1953年に発表され大ヒットとなったKAJ FRANCK(カイ・フランク)のKILTAシリーズ。1932年、芸術部門であるARABIA ART DEPARTMENTが設立され、TOINI MUONA(トイニ・ムオナ)、BIRGER KAIPIAINEN(ビルイエル・カイピアイネン)、RUT BRYK(ルート・ブルック)、OIVA TOIKKA(オイヴァ・トイッカ)らが参加。1942年、FRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツェル・ツェルベリ)のデザインした蛍手の技法を用いたRICE PORCELAIN(ライス・ポーセリン)シリーズを発表。1945年には、KAJ FRANCKがデザイナーとして入社、デザイン部門のリーダーとなり、KAARINA AHO(カーリナ・アホ)、ULLA PROCOPE(ウッラ・プロコペ)、ESTERI TOMULA(エステリ・トムラ)、RAIJA UOSIKKINEN(ライヤ・ウオシッキネン)らと共に数多くのヒット作を発表。1950年代から60年代にかけて黄金期をむかえるが、1970年代に入ると経営難に陥り以降、合 併や買収を繰り返し、現在は、IITTALAグループのブランドとして主にフィンランド国内向けに生産を続けています。
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