1950年代後半、ガラスメーカー間の競争が激化しNuutajarviは、Tapio Wirkkala(タピオ・ウィルカラ)と
Timo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)を擁するIittala(イッタラ)に売上高や知名度においても遅れをとっていました。
さらには、1961年にフィンランドがEFTA(欧州自由貿易連合)に加盟したことにより、海外からの輸入品が増え競争力のある製品が重要視されました。
Nuutajarviは、これらの状況を打破すべく効率的なプレスガラスの生産に注力するため、1968年にプレスガラス製造の完全自動化が始まりました。
こちらは、その完全自動化が始まった1968年に発表された灰皿。
1970年代にユニークピースの鳥のオブジェとして制作された脚付のLokinpoikanen birdに似たモチーフで、嘴と脚部分がタバコ置きとなっています。
1968年から1971年に製造。
※目立つダメージなく良い状態です。
KAJ FRANCK|カイ・フランク|1911-1989|FINLAND
ヘルシンキ国立美術大学で家具デザインなど7つの異なったコースを学ぶ。卒業後、家具デザインを主軸としインテリアデザイナーとして活躍。1939年、奨 学金を得てスウェーデン、デンマーク、1953年にはドイツ、イタリア、フランス、イギリスに赴き、この間の様々な研究により造形への視野がさらに広めら れた。北欧諸国への遊学から帰国後、ガラスや照明器具、テキスタイルなどデザインを次々と発表。1945年にARABIA(アラビア)の主任デザイナー、1950年からはアートディレクターに就任し1973年まで活躍。並行してIITTALA(イッタラ)(1946?50年)やARABIAの 傘下であったNUUTAJARVI(ヌータヤルヴィ)(1950?76年)でも数々の作品を残しました。「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの責任」を信条とし「フィン ランドの良心」と呼ばれる彼のデザインは機能的でシンプルなフォルム、装飾はなく色彩のみで表現されたものが多く、数々のヒット作を生み出しました。代表 作でもあるKILTA(TEEMA)シリーズ、KARTIOシリーズなどは現在でも生産が続けられています。また、手工芸的なアプローチで芸術的なスタジ オ作品も数多く残しました。ルニング賞(1955年)、ミラノトリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。
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